地域のお客様に愛される美容室を作りたい
SPCへの入会前の状況
新潟で美容室を経営しております五十嵐(イカラシ)と申します。本店の「有限会社井カラシ」は江戸時代の天保12年創業でして、髪結い床の時代から177年の長きに渡って理美容室を家業としてきました。私の母が5代目で、私が6代目になります。
2003年にAccueillir(アクイール)、2012年にAccueillir grace(アクイールグラッセ)という店舗を開いておりますので、現在3店舗経営させていただいております。
SPC入会前というとどこまで遡ってお話したらいいのかわかりませんが、私は高校を卒業する寸前まで、美容師にだけはなりたくないと思っていました。当時は母もSPCに入る前で、ずっと休みなく現場で働いておりまして、当然ですが、私が子供の頃に母が授業参観や運動会などの学校行事に来てくれた記憶はありません。当時の私はそれがすごく嫌で、将来生まれてくる自分の子供には、そういう寂しい思いをさせたくないと思っていたのです。
こういった私の考えを180度方向転換してくれたのが今は亡き父の言葉です。
「社員さんを雇って、社員さんに任せていける店を作れば、学校の行事に出られるんだよ。自分たちにはできなかったけれど、お前は将来そういう店をつくればいいじゃないか」
この言葉に励まされて、まずは美容師、将来はそこから一歩進んで美容室の経営者になるんだと思い直してこの道へと踏み出すことができました。
入会の動機について
SPCへの入会は、もう19年も前のことになります。当時私の母は地元新潟県見附市の美容組合で副支部長をしていました。組合では年1回美容で成功している方などを講師としてお招きして講習会をしていたのですが、その年の講習会に講師として来て頂いた方がSPCの会員さんでSPCの話を教えていただいたのが、私たち母娘が初めてSPCを知ったきっかけになります。
実はSPCのセミナーに初めに出席したのは母ではなく私で、そして「SPCに入ります」と宣言したのも私でした。単なる美容師ではなく美容室の経営者になることがずっと念頭にありましたので、このチャンスを掴んで是非とも学ばねばならないと考えたのです。
こういうわけで、本当は私が入会する予定だったのですが、その年にちょうど子供が生まれまして、「子供が小さいうちはSPCの活動はちょっと厳しいだろうから」ということで、母が先にSPCに入会してくれました。今思えば母はその時別の組合の役職者でしたから、私のために並々ならぬ覚悟でSPCに入ってくれたのだと思います。その後、母が切り開いてくれた道を通って私もファミリー会員としてSPCに入会させていただきました。
SPCでの活動の軌跡
SPCに入ってから様々な経験をさせていただきましたが、8年前に青年部の統括部長をやらせて頂いたことが、SPCで積極的に活動した最初の経験だったと思います。青年部というのは今で言うメディア青年部のことで、各統括本部の若手を活性化させていこうというのが活動の目的でした。自分たちでいろいろ勉強したり、青年部会議というのを設けて、若手だけで営業会議等をやったり、大変でしたが楽しかったです。
青年部で2年間過ごした後、全日本プロジェクト委員会に参加させていただいて、関越地区の大会実行委員長をさせて頂きました。ヘアショー、モデル競技などを含むスタイリングコレクションの関越大会の実行委員長を合計2回努めさせていただいたことになります。その間に経営戦略部での活動をさせていただいたりもしました。
去年には新潟県本部長に選んで頂き、それを機に母に代わって私が正会員となりました。
全日本プロジェクト委員会規模の活動となると、女性で実行委員長に選出される人はまだまだ少なく、そのため着付けが若干軽視される傾向がありました。会議などでも着付けは縮小しようというような意見が多くて…それで思わず「1万人も集めてコンクールをやるようなSPCです。これだけ美容業界を変革して行くと言って実行してきたSPCです。着付けの部門もそれにふさわしい充実した内容にグレードアップすべきではないでしょうか!」と発言してしまいまして…以来それから5年間ほど、全国大会の着付け担当責任者を任されています。着付けの部門で、厚生労働大臣賞のほか、内閣総理大臣賞を頂いたこともあります。
SPCに入会してから一番嬉しかった事
個人の面で嬉しかったことしては、従業員2人の「町のパーマ屋さん」からスタートして、Accueillir(アクイール)、次いでAccueillir grace(アクイールグラッセ)を出店して、20人以上の社員を抱えるほどに成長できたことが一番嬉しかったことですね。私は美容室の経営者になるんだと思って頑張ってきましたから、これが少しずつ形になっていくのは本当に嬉しいことです。SPCに入っていなかったら、多店舗展開はできなかったと思いますし、きっと「町のパーマ屋さん」で私は終わっていたと思うのです。
SPCの活動としては、全日本プロジェクトの着付けの分野で大仕事をさせて頂けたことが何よりも嬉しかったですね。
今ではどこに出しても恥ずかしくないレベルのコンテストにまで高めることができたし、少なかった着付けの参加人数を増やすこともできました。全国の各統括に着付け担当者を在籍させて頂いたり、各地で講習会が開かれるようになったり、着付け部門が無かった統括に着付け部門ができたり、振袖しか無かったのが、留袖部門や浴衣部門を増設するようになったり…そういう面で貢献できたことを嬉しく思います。
SPCに入会してから一番苦しかった事
第1号支店のAccueillirは、新たに5人集めて、10人ほどでスタートしたのですが、結局最初に採用したスタッフはみんな辞めてしまいました。その時が私にとっては一番苦しかった時ですね。私は何でも自分ひとりでやってしまわないと気が済まない性質で(笑)、今思えば人を信頼して任せることができなかったから、社員たちもやりがいが見出せなかったのでしょう。経営者になりきれてなかったわけですよね。
でも、SPCで大会の運営に関わったり、新潟本部長になったりすると、全部自分でやりたくてもそれは無理なわけです。そういう活動を通してやっと私は人に任せることを覚えることができたと思います。少しずつ「自分でやりたい!」という気持ちを我慢して、周りの人に任せることができるようになりました。
このSPCの活動で得た経験を自社にもフィードバックさせて、幹部たちにも社員たちにもそれぞれ仕事を任せることができるようになってきたら、責任を持って動いてくれるようになりました。
今後の活動への抱負
着付けに関しては、ハイレベルな着付けの大会を継続していきたいですね。そして、しっかり着付けをマスターしたいという女性の会員さんと社員さんたちが増えればいいなと思います。
それと、私が所属している関越統括の会員さんの数を増やしたいですね。
拡大セミナーで周辺を回ったりすると、昔の自分みたいに見える方もいらっしゃるんですよね。そういう方たちと一緒に勉強する機会があったら、今までSPCから教えて頂いたことはしっかり教えて、一緒に頑張れたらいいと思います。地元新潟でそういうSPCの活動を普及していけたらいいですね。
後は将来娘にバトンタッチする前に、お店を5店舗にまで増やすのが当面の目標です。
企業理念にも「地域のお客様に愛される美容室を作ります」と言っているので、是非そういう地域密着のお店を築きあげていきたいです。