女性ならではの視点で美容業界の未来を創りたい
SPCへの入会前の状況
私はサラリーマンの家庭で育ちましたので、経営のことも全く分からないまま、ヘアメイクの仕事に憧れ、美容室に就職しました。29歳で独立して「美髪屋」という17坪のサロンを立ち上げた時も、お客様に喜んでほしいという想いだけで、スタッフを雇用するつもりも全くありませんでした。日々美容師として働いて、良いお客様も付いて頂いてそれなりに順調だったのですが、いつからでしょうか、どこか張り合いがないと感じるようになってきたのです。変わりたいという想いが日々強くなっていきました。
入会の動機について
このままでは駄目だというのは分かっていましたが、何をすればいいか分からない。SPCの存在を知ったのは独立して3年目のそんな時期でした。友人に誘われたSPCの会合で出会った人たちは、とにかく元気。美容業界だから、さぞかしカッコイイ人たちの集まりなのだろうと思って参加したのですが、ちょっと違っていて(笑)。でも、とても情熱的で魅力的な人たちばかりでした。実を言えば、「美髪屋」でも『自分が稼ぎ頭』という意識が強かった私は『現場を抜けて経営者になっていく』というSPCの教えは、自分には合っていないのではないかと感じていました。でも彼らの中にいると自分の中からエネルギーが出てくるのを感じたのです。「まずは、入会して活動してみよう」と考えて、迷わず入会させて頂きました。
SPCでの活動の軌跡
入会以降も順風満帆だったわけではありません。当初、現場で美容師として働くことを止めることができなかった私は、四日市駅前に2店舗目を出した後、どうしてもそちらに気を取られてしまうようになりました。それは本店「美髪屋」のスタッフが全員辞める事態につながっていきます。今思えば自分の未熟さも理解できるのですが、その当時は必死にもがいていました(笑)。ただそういった経験が原点に立ち戻るきっかけになったと思っています。「スタイリッシュな建物、ハイクオリティーな技術、なおかつ温かみのあるサロン」が私の理想です。出直しの気持ちで3年後には本店を17坪から50坪にして移転オープン、次に大きな借金をしてVAN COUNCIL桑名店を立ち上げた時、スタッフは2店舗合わせて30人になっていました。その段階でも、まだ私は現場で美容師をしていました。本当に私は頑固なところがあって、『一美容師として自分が稼がないと』という想いが強かったのです(笑)。
ところが今度はVAN COUNCIL桑名店が礼儀もできていない理想とほど遠いサロンになっていきました。そこに至って初めて、現場で美容師として働くことを止め、本当の意味で経営者になる決意をしたのです。経営者としてスタッフ教育に取り組み、サロンの軌道修正をしました。大きな転機でした。そして「自分が現場を抜けても売上は落ちない」というSPCの教えを証明できる一人になれたのです。自分が現場に居なくてもスタッフが頑張ってくれるんだということが分かって、初めて心からスタッフに感謝できるようになりました。そこからです、歯車がカチャンカチャンと回り出したのは…。もう後戻りはできないと思いました。3店舗目のVAN COUNCIL 四日市SAKURA店、そして集大成の4店舗目「LesFees24」へは、ボンボンと出店できました。やっとSPCの教えが理解できるようになったのです。
SPCに入会してから一番嬉しかった事
SPCに入会してからは、本当に色々な嬉しいことがありましたが、直近の話をさせていただくと、2013年9月30日の「全日本SPC JAPAN レセプショ二スト・コンテスト」に関わらせていただいて、成功させることができた時は心の底から感動しました。レセプショ二ストはサロンの受付担当者です。アメリカでは「美容師は髪のプロ、レセプショ二ストは接客のプロ」と、高い意識で分業し、機能しています。日本ではまだ導入例は少なく、美容師免許を持たない人たちですから、入社しても未来が見えないといって辞めていくスタッフが多いのが現状です。でも、レセプショ二ストは美容界の未来を変えていく価値ある職業だということをスタッフにも、経営者にも伝えたかったんです。何もないところから1年かけてプランを作り、新しい分野をSPCに伝えられた手応えもすごくありました。予想を大きく上回る約200人がエントリーしてくれて、SPCだからこそ実現できた品格のあるコンテストは大成功でした。こんな感動はSPCに入っていなかったら経験できなかったんだろうなと、温かく見守りながら協力してくれた会員の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
SPCに入会してから一番苦しかった事
人生には失いたくないものがたくさんあります。それでも、苦しみながら選択してきたからこそ、現在の自分があると思っています。VAN COUNCIL桑名店の立て直しのために、現場を離れたこともその一つです。人生最大の借金をして作った店ですから潰すわけにはいきません。もちろん毎月の返済も苦しかったのですが、現場を離れることへの葛藤もすごくありました。美容師なのに、なぜ美容師を辞めなくてはいけないのかと。そして、スタッフを育む視点に欠けていたと気付いたとき、美容師としての自分を封印するという大きな試練を受け入れることができました。
今後の活動への抱負
2012年に創業20年になりまして「有限会社美髪屋」という名前を昨年「cheer ful24」に変えました。チアガールの「チア」です。困難を笑顔で乗り越え、仲間と共に前進するという意味です。SPC会員としても女性ならではの視点で男性会員にはできないことを提案していきたいと思っています。レセプショ二ストのコンテストのような人材の育成教育の確立も進めたいですね。お手本もない代わりに決まり事もない中で、一つ一つ形にしていく作業は、とてもやりがいのあるものでした。これからの新しい出会いもとても楽しみにしています。美容業界の未来をぜひ一緒に創りましょう。